ジャンボ鶴田さんの話
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鶴田さんが亡くなってもう16年過ぎたんだなぁ…。鶴田さんは私より3歳年上。私がアメリカ修行するまでの6年間共に合宿所生活を楽しんだ。我が青春を謳歌したと言うべきか?(笑)1970年代、鶴田さんも私も20代、薗田と大仁田はまだ10代だったなぁ。パソコンも携帯もコンビニもなかった時代。パスタがスパゲッティの名で統一されていて、ナポリタンとミートソースしかなかった、というか知らなかった時代。我々若手は試合と練習、そして雑用に追われながらも夢の体現者ジャンボ鶴田さんと大いに将来を語り合い、又は馬鹿話に花を咲かせた。皆若く本当元気だった。「渕君、俺は40までにこの仕事から去り別の人生を歩むよ」「結婚するかどうかはわからないなぁ。ハードな仕事だからね。次の人生のため金は貯めておかないとな。無駄遣いはしない」「この仕事してると結構女にモテるんだよ、渕君。どうせモテるんだったらいい女を探そうぜ(笑)」「プロレスって難しいよなぁ…。観るとやるとは大違い?当たり前じゃないか!」「プロレスで一番大切なのは体力、ス
タミナだな。馬場さんが言ったように練習はキツくなってから始まるんだよ。スタミナがないとバランスが悪くなって美しくなくなる。馬場さんや駒さんが言ってるようにプロレスは美しくないとな(笑)」そういえば、散々受け身、ロープワーク、スパーリングやった後にプロレス技の練習をさせられた。仕上げはスクワットだった。「たしかに大変な世界だけどプロレスラーになって良かったとつくづく思う。でもなぁ、辞めた後の人生も長いんだぜ。まさか50過ぎてもやれるなんて思ってないだろ?渕君」…(笑)。我62歳、今だ現役なり(笑)。
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渕選手へ
鶴田さんのお話、拝見しました。色々なお話の半分くらいはずれましたでしょうか。現役を続けて頂いたおかげでプロレス観戦する機会に恵まれました。本当に感謝しております。どうか格好良いプロレスラーの皆様を応援する機会を与えてください。気候が変わってきましたので、何卒お疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ