7回忌
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最終更新日:2015/06/14
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三澤光晴が亡くなって6年。いろいろ想い出がある。1990年代。三澤ら四天王が大活躍した頃が全日本プロレスにとっても(今のところ)一番良き時代であった。年7度の日本武道館大会が常に超満員になってくれた。年20度以上の後楽園大会は選手にまでチケットが回らないほどの札止め状況が続いた。地方大会も熱気が凄かった。札幌大会、大阪大会の大会場では2日連続興行を打った。よく入ってくれた。先ほども書いたが四天王の活躍に依るところが大だが、やはり三澤光晴の存在は抜きん出ていた。全日本を盛り上げようとする若きエースとしての責任感にあふれ常にハードな試合を観客に提供していた。鶴田戦、ハンセン戦、四天王同士の試合…。すべて名勝負になった。私も30代から40代。三澤とは何度も対戦した。コーナートップからのエルボーパットを食らってリング上でぶざまに失神させられたこともある。4対4のサバイバルタッグマッチでは1時間を超える試合時間となった。熱狂的な観客の声援で試合後は心地よい疲れが残った。還暦を過ぎた今では無理なこと
(笑)。プライベートでは結構一緒に飲みいった。亡くなる3、4ヶ月前か?偶然銀座の馴染みのクラブで会った。お互い驚いて顔を見合わせた。連れがいたのであまり話しもしなかったが。「元気そうじゃないか?」「そうでもないです」「少し太ったな」「ストレス太りです…(笑)」寂しそうな苦笑いが忘れられない。90年代を駆け抜けた我が戦友であった。6月13日か…。47歳を迎えるほんの少し前だったんだな。
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渕選手へ
三沢選手のお話拝見しました。沢山の試合観戦させて頂きました。新団体を立ち上げた時は驚きました。訃報を耳にした時は信じられませんでした。心からご冥福をお祈り致します。
プロレスラーの皆様、スタッフの皆様、どうか万全の準備で試合に臨んでください。よろしくお願い致します。
日刊スポーツの記事、ミスタープロレス天龍源一郎曰く
「ざっくばらんに言えば、プロレスの申し子。三沢は上手で武藤はうまい。言葉としては同じだけど、ニュアンスでね(微妙に違う)」
三沢は具象画、武藤は抽象画と理解しました