合宿所生活
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1974年、私が入門当初の全日本プロレス合宿所は目白にあった。目白通り沿いに建つマンションの10階の3DKの部屋だった。部屋はすべて和室。6畳間が3部屋。ジャンボ鶴田さんがひとり部屋、我々若手3人でひと部屋。もうひと部屋はゲストルームプラス物置。ダイニングキッチンもだいたい6畳間の板張り。そこでよく4人で鉄板焼をしたもんである。目白駅まで歩いて約10分。マンションの1階はスーパーマーケットで買い出しには便利だったな。外食するのに様々な店が目白通りには軒並み揃っていたからよく出掛けた。そこには2年半暮らした。1976年夏、目白から世田谷の砧に合宿所は移った。道場も恵比寿からその合宿所の庭に。2階建ての一軒家。部屋もそれぞれ個室となり互いのプライベートが守られるようになった(笑)。そこにはアメリカ遠征するまで居たので約4年。合宿所生活は20歳から26歳までのまさに我が青春時代。若気の至りもあり、恥ずかしきことも多かったが(笑)、まあ愉しき青春時代だった。若くて元気だった。毎日厳しい練習の中、飲みに
出掛けたり、当時のディスコにも行って踊ったりしたもんである。そして翌日また練習でしぼられる(笑)。車の免許を取り入ったのもこの頃。懐かしきかな、我が合宿所生活(笑)。現在の横浜の道場兼合宿所が出来てたしかもう25年になるかなぁ…。
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Comment
渕選手へ
「合宿所生活」拝見しました。さぞかし思い出深い合宿所生活だったのですね。今は会社の寮でも個室ですから相部屋生活は貴重な経験かと存じます。
思い出話を伺う事が出来て嬉しいです。どうもありがとうございます。