昭和40年
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今年1月網膜剥離以後の検診のため東京に向かっている。昭和40年か…。私は小学校6年生。古本屋でプロレス雑誌を見てプロレスラーに憧れを持った。子供心の単純さであった。昭和40年、巨人がリーグ、そして日本シリーズ9連覇スタートの年。相撲は大鵬、柏戸が両横綱で健在だった。ボクシングではファイティング原田がバンタム級世界チャンピオンになった。そしてプロレス、ジャイアント馬場がディックザブルーザーを破って力道山の遺産インターナショナルのチャンピオンとなり、新たなプロレス界のエースになり、馬場時代が始まった。当時は日本プロレス1団体の時代。レスラーはステータスが高くエリート。コミッショナーは政界の副総理。当然テレビ中継はゴールデンタイム。今じゃ考えられないわな(笑)。スイカやスマホ、コンビニのない時代。街の至るところに電話ボックスがあり、たばこ屋には赤電話があった。任侠映画に若大将、クレージーキャッツ。「勝つと思うな思えば負けよ」の柔の唄。マヒナスターズにザピーナッツ。そう言えば、馬場さんが元子さんと本格的にお付き合いを始めたのも、この年だと聞いたことがある(笑)。
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Comment
渕選手へ
「昭和40年」拝見しました。移動お疲れ様です。無事に検診が終わります様に。プロレス中継がゴールデンタイム…良い時代がありました。昔の様に大声を出すと近所迷惑になってしまいますが、我慢しますので、ゴールデンタイムの中継復活を希望致します。日中はとても過ごし易くなりました。空気の乾燥と寒暖差にご注意願います。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。