憧れの有名人との遭遇
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北九州で生まれ育ち、テレビ、新聞、雑誌で知る有名人に憧れを持つのは我が少年時代の日常だった。スポーツ選手、映画俳優女優、歌手…。平凡、明星、サンデー、マガジン、そしてプロレス&ボクシング❗️少年時代の愛読書だ(笑)。当時は九州人にとって有名人がいる東京はまさに花の都❗️笑わないでくれ。昭和30年代40年代初頭までは本当そんな感じだったんだから。特に遠く離れた北九州から見るとねぇ(笑)。東京の街自体に憧れたもんだ(笑)。憧れのヒーローであったジャイアント馬場さんと初めて対面した時には見上げながら身体が震えていた。オーバーでなく。我がヒーローが目の前にいる❗️てな想いだ。スポーツジムで高倉健さんを紹介された時も震えた。やはり緊張したよ。同じ北九州出身です❗️なんて挨拶して喜ばれ、ジム橫でハンバーグ定食をゴチになったんだから我ながら強心臓❗️(笑)健さんは珈琲だけだったのに。猪木さんとの試合で来日したモハメド・アリとの遭遇も衝撃だったな。コシロバジリ(アイアンシーク)に連れられ京王プラザホテルでホンの少し会えた。ホテルのインペリアルルームに着いたらバジリは私のことなんかほったらかしでイランの知人探しに行ってしまう(笑)。私はおおぜいの中でフレッドブラッシーを見つけ初対面の挨拶をしているところになんとアリがやってきた❗️183センチの私より長身。ブラッシーとなにやら話し私を一瞥。別れ際私と手を合わせてきた。同じ大きさだ。「セームサイズ」と言って少し微笑んだ感じだったがあまり覚えてない。すぐにブラッシーと話しながら私から離れて行った。出会いはそれだけ(笑)。結局バジリとはその後会えず一人目白の合宿所に帰った(笑)。ただ、その翌日か翌々日にスポーツ新聞の1面にアリの手形が載ったんだよ。何処で記者がアリと私が手を合わせていたのを見ていたのかな?(笑)馬場さん、健さん、アリ…。今回はこれまで❗️(笑)
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Comment
渕選手へ
ブログ拝見しました。誠に仰る通り、試合会場でプロレスラーを目の当たりにする時の感動は一入です。シャッターを忘れて見惚れてしまいます。会話なんてとんでもない幸運です。素敵なご縁のお話を綴って頂きます様、お願い致します。お天気は大丈夫ですか。気温上昇と共に食材の管理にもご注意願います。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。
新潮社のPR雑誌「波」にエル・デスペラードさんの書評が掲載されています
マッドドック・バション、ジャック・ブリスコ、G・ゴーディエンコ、B・V・ラシク、馬場さん、渕さん
読書家プロレスラー、いいですね