プロレス少年時代
公開日:
:
ブログ
特に中学生の頃となるか。昭和で云えば41年42年43年。むろん高校生時代もファンだったがな。日本プロレスでのジャイアント馬場の全盛期の頃。我が父親は北九州の八幡製鉄所勤務。家族で住む社宅からよく黒崎駅前迄歩いて東京スポーツの九州版九州スポーツ紙を買いに行ったもんである。当時、九州スポーツ紙は10円だった。いつも一面記事はプロレス。それもほとんどが我がヒーロージャイアント馬場の記事。二面は野球で終面あたりに芸能面とか女性の裸の写真も❗️(笑)思春期から大人へ大いに役に立ったスポーツ紙であった(笑)。まぁともかく、プロレス少年熱狂時代だったのは事実。人間発電所、鉄の爪、荒法師、魔神、魔王、生傷男…がやって来てジャイアント馬場と激闘を展開する。その時期、北九州ではプロレス放映はされていなかったのでスポーツ紙記事で展開を想像するしかなかった。「これは馬場危ないかも!」「凄い試合だったんだなぁ!」なんてね。将来プロレスラーになるのも?と考えだしたのもその頃。軽く触れただけで両親はむろん大反対!「夢みたいなことを。もっと地道に」「カタワになったらどうする!」。北九州の片田舎。父親は製鉄所勤務。普通の親の気持ちだな(笑)。そして…、半世紀以上過ぎ、プロレス少年は67歳となった(笑)。憧れのジャイアント馬場の弟子となり、今だなんとか現役のプロレスラー。夢を実現出来たんだから幸せなんだよな❗️アッ、それから先日突然故障したテレビが突然治った❗️これも幸せ❗️(笑)
関連記事
-
4日にまた再放送❗️
有難いことに4日(水)午後11時に再びBSTBSにて我が食レポ番組「幸せ昭和食堂」が放送される
-
またまた鶴田さんの話
鶴田さんとはよくバスタオルの引っ張り合いの練習をやった。主に腕立ての後にね。体力腕力とても敵わないか
-
日プロ時代の馬場さん
4月29日後楽園と5月16日大田区総合体育館で私の出場が決まったようだ。久々の試合。組み合わせはまだ
-
25 November, 2015 11:24
先日新宿の漱石山房公園に行って来た。夏目漱石は大正5年に49歳で亡くなるまでその地に9年間居た。「三
Comment
渕選手へ
「プロレス少年時代」拝見しました。記事で試合内容を想像するのも楽しいですよね。憧れを実現して頂いたおかげで試合観戦する事が出来ております。本当にありがとうございます。これからも応援させて頂きます様、何卒よろしくお願い致します。無事テレビが回復してくれてよかったです。もうすぐ春ですね。季節の変わり目を健康に過ごせます様に。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。