尊敬する人物
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最終更新日:2020/07/04
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馬場さん?もちろん尊敬している。これまで、こういった質問を何度かされた。その度に様々な人物の名を出してきた。馬場さんもその1人。だが、今この年になっていろいろ想いあたるに、やはり我が父が一番尊敬する人物だと改めて感じる。自分の口で言うのもなんだが、私は結構孝行息子であった。しかし、母親孝行に比べ父親孝行は半分もしていない。父と母はよく夫婦喧嘩をした。子供時分から散々その喧嘩を見せられた。私が今だ独身なのも、その影響の感ありだ(笑)。子供は母側に付く。私と妹はいつも母の味方だった。寂しく1人酒を飲む父の姿をよく覚えている。父は真面目な会社員で製鉄所に勤めていた。酒好きで将来成長した私と一緒に飲むのを楽しみにしていた。結局は父と母は離婚はしなかったけど約30年の別居となった。私はレスラーとなり、妹は結婚して母と同居。私は東京、妹夫婦は母と共に埼玉住まい。父は1人北九州で暮らすこととなる。時たま巡業で近くに行くと父と酒を酌み交わした。酔いにまかせて父は私の子供時分の話をした。何度も聞かされた話だが私は相づちをうちながら酒を呑んだ。年々会って飲む度に父は酒が弱くなり年老いていった。30代40代での私はレスラーとして仕事も 頑張っていたけど道楽の方でも頑張った!(笑)知らず知らず?借金があった。父は気持ちよく退職金などで融通してくれた。私はいい年をして晩年の父に甘えていた。私に対して小言は一切言わなかった。2004年に父が、そして2009年に母が亡くなった。共に78歳であった。長男の役目として両親の葬式と墓を建てれたことは幸せなことであったが、60ちかくとなり試合数が減っていくと蓄えのない私はやむ無く想い出深い北九州の家を売った。古い一軒家で車も入らぬ場所。二束三文であったが、お陰で再び借金せずにすんだ。亡くなった後も父に甘えた私。父のお陰で今の私がある。もっと孝行すれば良かった!さて、これから病院で検査だ!
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1982年プエルトリコ
宿泊ホテル前、28歳の私はどうしようもないがブッチャーはオシャレだな。この時期、よく試合後サンファン
Comment
渕選手へ
ブログ拝見しました。父の日の翌月で助かりました。なんとも例え難い感想ですので、省略させて頂きます。
検査は無事に終わりましたでしょうか。良い結果に成ります様に。そちらの天気は如何でしょうか。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。