我が小学生時分
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2月も終わるが、コロナウイルスニュースで終始したね。3月も同様な感じだ。世界経済にも影響を与えてるよね。イベントの中止、延期が増えている。プロレス界にもその煽りが来ている。これからのこと全く予測がつかない状況だ…。我が小学生時分…、私の父親は八幡製鉄所に勤めていた。その社宅アパートに家族で約7年住んだ。私が幼稚園児から小学校6年生まで。6畳と9畳の和室。部屋には一切水道はなかった。何しろ共同トイレ、共同炊事場、共同洗面所のアパートだから。昭和30年代、そんな時代である。当時3種の神器と呼ばれたのはテレビ、冷蔵庫、洗濯機。当初、我が家では何もなかったが、最初に購入したのがテレビ。金曜8時のプロレス中継の時はテレビを持たない近所近辺の連中が狭い我が家に集まり、力道山の空手チョップに興奮して声を揚げて応援したもんである。以前は我々もテレビのある家にお邪魔させてもらっていた。父親はかなり無理してテレビを購入したようだ。何しろ高級品だったからね。冷蔵庫と洗濯機は中々買えなかったな。夏に氷屋さんから
たまに氷を配達されていたんだよ。氷屋、そういうのあったんだね。洗濯板でゴシゴシ洗濯物を洗っていた母親の姿も思い出す。扇風機が来た時も嬉しかったな。風に向かって声を出して遊んでた。まだ子供だったんでね(笑)。共同トイレは広かったんだけど、男子用は便器が1つ1つ並んでいるんじゃなくて長い台の上に立ち、壁際の堀に向かって用を足すんだよ(笑)。その横の並びに大便用のドアが並んでいる。むろん当時は水洗ではない!洋式で水洗なんて余程のセレブマンションじゃないとなかった時代。アパートから歩いて15分ほどに銭湯があったな。家族でよく行ってた。冬の寒い夜、震えながら部屋から出て共同トイレに向かうと近所のオジサン2人が用を足しながら話していた。「早くトイレや風呂がある家に住みたいねぇ」「いつになるやら…(笑)」。昭和30年代、そんな時代だった。スマホ世代には考えられない時代。だけど当時、まだ小学生の私にとってそれほど不便だと感じず当たり前に暮らしていた7年だったな。アパートの住人皆が同じように生活していたからね。
町内会があり、暮れには餅つきがあったりした。クリスマスの時は毎年違ったサンタクロースが現れて子供達にプレゼントを渡した。私の父親もなった。それぞれの家に集まって宴会もやった。子供ながら愉しかった。同じアパートに住む同級生の女の子が親に連れられて我が家に来たりしてね(笑)。貧しさの中で我が両親は一所懸命やりくりしてくれていたんだよな。昨日は久し振りに墓参りをした。
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Comment
渕選手へ
ブログ拝見しました。今では一部屋に1台テレビが有りそうですね。テレビがチャンネルからボタンに変わった時は感動しました。リモコンに変わって、さらに便利に成りました。便利に成ったはずですが…何かがちぐはぐで困っております。早く解決策が見つかる事を切に願います。こちらはお天気が下り坂です。そちらは大丈夫ですか。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。
渕様
ご無沙汰しています。
岸の浦社宅からの幼なじみです。
TVをみて懐かしく・・・連絡先がなかったので思わずコメントを入れてしまいました。
よろしければご連絡お待ちしています。