東京体育館と国技館
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国技館は両国ではなく昔の蔵前国技館。東京体育館も今のじゃなく昔の。力道山木村組が世界タッグチャンピオンのシャープ兄弟に挑戦して日本中にプロレス人気を巻き起こした試合は蔵前国技館だった。以後、馬場、猪木、坂口、鶴田というスーパースターの凱旋帰国試合は蔵前国技館であった。4人ともここで素晴らしい凱旋試合をやり一気に人気レスラーとなり得た。私も蔵前国技館で凱旋試合をやってもらったんだよなぁ。だけど期待に応えることが出来ずチャボゲレロに敗北。スーパースターへの道は遠かった!(笑)蔵前国技館での超満員伝説はいろいろな緒先輩の話だと昭和36年の力道山対グレートアントニオ戦は入ったらしいね。テレビ視聴率も凄かったようだ。あと昭和44年の第11回ワールドリーグ開幕戦も入ったと聞く。日本プロレス時代は力道山、ジャイアント馬場で常に満員超満員が日常だったようだけど特にこの2大会は凄かったらしい。新日本、全日本になってからは昭和49年3月の猪木対小林と翌50年10月の馬場対大木戦かな?むろん他にもあるけどね。猪
木対大木、ファンクス対ブッチャーシーク…とかあるが。まぁ総合的に判断して(笑)。異論大いに結構〓東京体育館は力道山時代からビッグマッチの会場だったよね。だから超満員伝説は多い。第1回ワールドリーグ戦も行われた。その中でも、昭和37年4月の力道山対ブラッシー、38年5月の力道山対デストロイヤー、41年2月の馬場対テーズ、57年2月の馬場対ハンセン戦は特に入ったと聞く。これも異論大いに結構〓(笑)現状の全日本としてドーム、日本武道館も大会場としてたしかに思い出深い。だが今はない蔵前国技館、東京体育館、そして日大講堂が私にとっては懐かしい〓
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Comment
そらぁ 蔵前ですよ。初めてプロレスを見はじめた時の年末がファンクス対ブッチャー、シーク戦。びっくりした。「栓抜き」は知っていたけど、まさかフォーク・・・見えない振りするジョー樋口名レフェリー。「いったい、どうなっているんだ!」とテレビの前で叫びました。お客さんは座布団ひいてあぐらかいてみているけど、最後はめちゃくちゃになってまるで座敷で喧嘩でも起きたような状態。「ぐちゃぐちゃだあ」あっけにとられてました。けど楽しかったな。(笑) 決戦会場は蔵前です。シリーズ最終戦は蔵前。やっぱり昭和人でした。
渕選手へ
日本のプロレス史を飾ってくれた会場のお話、拝見しました。とても有り難いお話…どうもありがとうございます。プロレス雑誌で見ていた大会場ばかりで嬉しいです。カードはもちろんですが、試合を見届けたい思いの現れかと。是非とも続きのお話を綴って頂きます様、お願い致します。またも強い寒波が到来です。どうぞ暖かくしてお過ごし願います。お疲れになどなりません様に、ご自愛くださいませ。