フレッドアトキンス
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古いプロレスファンなら知る人ぞ知るジャイアント馬場さんのアメリカでの師匠。フレッドアトキンス。現役として来日したのはただ1度のみ。昭和38年の第5回ワールドリーグ戦参戦の時だけ。今じゃそんなに知られてないだろうなぁ。プロレスの試合ではあまりショー的要素はなく練習に関しては全く妥協がなかったらしい。アトキンスはカナダ人でトロント近辺に住んで居て馬場さんは若き頃、その近くのモーテル住まい。試合がある時ない時関係なくアトキンスに猛烈にしごかれたようだ。アメリカ遠征前、力道山道場で毎日スクワット3千回の猛練習を耐えきった馬場さんですらアトキンス流トレーニングはかなり堪えたみたいだ。特に雪の中での腿上げダッシュはキツかったと言っていたな。アメリカ初遠征から帰国した頃の馬場さんの太ももの逞しさは本当凄いよ!猪木さんの師匠はカールゴッチ。ゴッチはストロングスタイル探求者として有名だけどフレッドアトキンスはゴッチに負けない頑固者。妥協を許さない点ではアトキンスはゴッチの先輩にあたる。私は1983年春、ト
ロントで試合をやった。1試合目のシングルマッチ。相手はジョニーリベラ。その時のレフェリーはなんとフレッドアトキンス〓私は感激した。なんと言っても馬場さんの師匠である。貫禄のレフェリングに圧倒された。試合後、挨拶に行った。もう60代だったが、鋭い眼力は流石であった。「ババのことを何か変なことを言う奴がいたら今でも俺が相手になってやる!俺の練習に最後まで付いて来たババが弱い訳がない!」と言ってくれた。リベラとは20分時間切れ引き分けだったが、ただ1度のアトキンスのレフェリーでの試合。私にとって貴重な経験だった。「ババは何度か根をあげそうになったが最後まで俺の練習に付いて来た。あのガッツはたいしたもんだ。あの大きな身体を鍛えに鍛えぬいたんだ!大概の奴には負けない!」。アトキンスとの練習が馬場さんに大いなる自信を与えたことは間違いないようだ。アトキンスは馬場さんのアメリカでのマネージャー及び用心棒的存在であった。ルーテーズとストラングラールイスとの間柄と似た感じだろう。馬場さんの師匠フレッドアト キンスとただ1度の出会い。私にとって良き思い出である。
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Comment
渕選手へ
おはようございます。ブログ拝見しました。しっかり鍛え上げたからこその信頼かと。「馬場さんの用心棒」が印象的です。読み応え有るお話を綴って頂きまして、どうもありがとうございます。気温は高いですが風が涼しく成りました。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。
Es sind maximal 0 von 11 Trophäen erspielbar.
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