ライバル
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あいつには負けたくない!自他共に認めるライバルがいることは幸せなことだね。互いに切磋琢磨できる。これはスポーツに限ったことじゃないよね。プロレスストーリーとしてはライバルは不可欠。ジャイアント馬場さんにはライバルと呼べるレスラーが複数いた。1人2人じゃない。私がプロレス少年時代から思い起こして見るに少なくとも10人はいる。ライバルが10人って凄いよな。力道山のライバルでは、テーズ、オルテガ、ブラッシー、デストロイヤー…。猪木さんだと、バレンタイン、シン、アンドレ、ハンセン…。ドリー、ロビンソン、マルコフ、そしてゴッチは違うと思う。馬場さんだと、この2人の倍となる。デストロイヤー、コワルスキー、サンマルチノ、キニスキー、ブルーザー、エリック、コックス、リソワスキー、ブラジル、ブッチャー、レイス、ハンセン…。10人超えちゃった(笑)。この2人の対決なら何度でも見たい〓とファンに期待される試合だね。自分とライバルとの試合をお目当てに会場に足を運んでくれる。まさにレスラー冥利に尽きるわな。日本プロ
レス時代のインターナショナル王者当時、馬場対サンマルチノ、対キニスキー、対エリック、対デストロイヤー、対ブラジルなどのタイトル戦は常に大会場が超満員となった。プロレス少年渕正信はその頃、スポーツ新聞の紙面を見るだけでも興奮した(笑)。ドリー、テリー、モンスーン、ブリスコ、シュナイダーもライバルに入るかも?そうなるとライバルは15人以上。彼らとの因縁試合はすべて超満員〓馬場さんやりがいあったろうなぁ。実は馬場さんから、自身の印象で残ってる試合を何試合かピックアップしてもらったことがある。その時、私は単なるプロレス少年に戻っていた(笑)。年度別に言うと、1963年のコワルスキー戦、64年のハリケーン戦とキニスキー戦、65年のデストロイヤー戦とブルーザー戦、66年はテーズ戦、シュナイダー戦、コックス戦、エリック戦、67年はサンマルチノ戦とキニスキー戦、68年はリソワスキー戦とブラジル戦、69年はデストロイヤー戦、70年はドリーとやった大阪での灼熱耐久試合とブッチャー戦。全日本時代では、やはり74年
のブリスコ戦、75年の大木金太郎戦、79年のレイス戦、そして82年のハンセン戦。会場だと東京体育館、蔵前国技館、大阪府立体育会館。この3会場が印象に残ってるって言ってたな。リニューアル前の古きよき時代の頃の会場がね。あの馬場さんが遠くを見つめる眼差しで話してくれたことを思い出す。本当良きライバルたちに恵まれていたね。
Comment
渕選手へ
「ライバル」拝見しました。因縁と言われても名勝負とは、好敵手と言う漢字がふさわしいかと。文字も楽しいですが、馬場さんからお話を伺えるなんて何にも変えられない幸せですね。素晴らしいお話を綴って頂きまして、どうもありがとうございます。一度ではとても足りません。折に触れて綴って頂きたく存じます。台風後に残暑と気候の変化が大きいです。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。
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