デストロイヤーさん
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ブログがやっと再開出来たようなので、遅まきながら「デストロイヤーさん」について。インテリジェント、センセーショナル、ザ、デストロイヤーが初来日したのは1963年5月。第5回ワールドリーグ戦の優勝戦。力道山とキラーコワルスキーが対峙するリング上に忽然と姿を現した白覆面の魔王。力道山の握手を拒否してコワルスキーに握手を求める。コワルスキーは逆に拒否。その時、怒ったデストロイヤーはコワルスキーに強烈な張り手!「あ、デストロイヤーがコワルスキーに平手打ちです!」絶叫するアナウンサー。静まり返る東京体育館の場内。超大物同士のにらみ合い。どうなるんだろう!北九州の社宅アパート。生中継のテレビの前でまだ小学生の私は両親共々固唾を呑んで見守った。大事な優勝戦。コワルスキーが視線をそらし何事もなく終わる。「コワルスキーに対して、あんなことをするなんて、この白覆面は凄いな!」プロレス通の父は感心していた。ある意味毒気を抜かれたコワルスキーは力道山に完敗。力道山はワールドリーグ5連覇を達成した。その1週間
後の5月24日、再び東京体育館。WWA世界タイトルマッチ。チャンピオンデストロイヤー対チャレンジャー力道山。今でも語られる伝説の時間無制限1本勝負。やはりテレビ生中継。4の字固めの攻防で互いにギブアップせず、レフェリーの判断で無勝負痛み分けとなった。力道山、デストロイヤー共に4の字固めを解いても立ち上がること出来ない。凄い試合を見た〓子供ながら興奮したことを今だに覚えている。視聴率64%〓凄いよね。名勝負中の名勝負〓この一戦でデストロイヤーの名と4の字固めが日本全国に浸透したよな。それからちょうど10年後の1973年の3月に私は初めてプロレスラーの新弟子として白覆面の魔王と会った。場所は恵比寿の道場。私は19歳。若く細かった。興奮しながらも緊張ぎみに挨拶をした。力強い握手をしてくれた。白覆面の魔王は気さくないい人であった。魔王は力道山以後も何度も来日して、豊登、馬場、猪木…と常に日本プロレス界のエースと名勝負を繰り広げた。日本のプロレス人気を支えた大恩人であろう。北九州の我が実家に2度も来
てくれたのは良き想い出。両親が感激していたのを思い出す。親孝行が出来た。まさか初めて会ってから20年後の1993年7月、6人タッグマッチではあるが引退試合の対戦相手を勤めることになろうとは思いもよらないことであり、誠に感慨深い。酒の席で気分が乗ると「想い出のグリーングラス」をよく唄っていたデストロイヤーさん。どうか安らかに。
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Comment
渕選手へ
デストロイヤー選手のお話、拝見しました。貴重なお話を伺う事が出来ました。母と兄から試合の様子を熱く語ってもらいました。試合観戦はありませんが、プロレス雑誌で良く見ておりました。心からご冥福をお祈り致します。
Your thesis should be preceded by a couple of introductory sentences.
How can you make a quality essay in that short period of
one’s energy? Since birth, I loved the area of Md.