全日本プロレス創立時
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最終更新日:2018/08/05
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馬場さんから直に聞かされたこと。「日本テレビとうちのカアチャンがいなかったら全日本は出来なかった」と。1972年7月29日に日本プロレスに辞表提出して9月9日に全日本プロレス創立発表会見。そして10月20日、キャピタルトーキュー(当時のヒルトンホテル)にて創立記念レセプションに至るまでの忙しさは大変なことだったらしい。日米間の往復は2ヶ月半で20回を超えたときく。日本テレビの後押しと愛する人との二人三脚。レスラーはアメリカ遠征中の駒さんと大熊さん、それとまだ若手だった轡田さんと佐藤さん。全日本プロレスを立ち上げた時には馬場さんの元にはこの4人しかいなかった。事務所、道場、合宿所の確保には馬場夫人の元子さんが奔走して動いた。馬場さんは馬場さんで日本テレビからの要請で全日本プロレス中継のPRとして海外で試合したり、またはトップレスラーとの契約をするためアメリカ各州を東奔西走したりの忙しさ。日本プロレスに辞表提出してから全日本プロレス創立までの約3ヶ月、馬場さん夫妻は必死だったんだろうなぁ。「日
本テレビの恩に報いるためにもなんとかこの会社を最低でも10年は持たせたいとの思いだった」。最初は10年が目標だったようだ。それが今年は創立46年。私も入門45年目。月日のたつのは早いものだ…。
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昨日BSで初めて渕さんのことを知りました。一歳年下の男性ですが、渕さんの素敵な顔とご立派な体格に圧倒され、たちまち渕さんの魅力の虜になってしまいました!今度渕さんの試合是非観に行きたいです
渕選手へ
「全日本プロレス創立時」拝見しました。会社創立から運営、興行等々、ご尽力頂いた事に感謝致します。家族がプロレス好きでいてくれたおかげで私もプロレス好きになる事が出来ました。プロレスが日本を支えてくれた事を実感しました。とても貴重なお話を綴って頂きまして、どうもありがとうございます。これからも応援させて頂きます。よろしくお願い致します。暑さが続いております。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。