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1974年4月再び

公開日: : 最終更新日:2018/04/10 ブログ

いくら焦ったところで車は渋滞でノロノロ運転。「お客さん、恵比寿までは何時頃に着けばいいの?」私は腕時計を見る。10時10分。「11時には着いて欲しい!」。運転手は苦笑いしながら「お客さん、見ての通り、この渋滞じゃその時間に恵比寿に着くのは絶対に無理。あきらめるしかないねぇ(笑)」と言う。「何処か近道はないのか?」「茅ヶ崎の車だよ。無理言わないで。どうしてこんな日に?」「どうしてもこうしても11時までに恵比寿に着かなければ!」。運転手は無理ってことしか言わない。ナビなんて無論ない時代。私は焦り過ぎてなんと車酔いしてしまった。冷や汗が出てきた。ムカムカして気持ち悪い。あろうことか、タクシーを道路端に停めて貰い、もどした。また時間のロスだ。やっとこさ恵比寿の山田ジムに着いた時にはもう11時半を回っていた。タクシー代は約3万円。おまけに体調は最悪。その状態でバッグ片手に道場に急いで入った。緒先輩達は当然すでに練習を始めている。「遅れて申し訳ありません!」。私は直立不動で頭を下げた。駒さん、大熊さん
、肥後さん、佐藤さん、そして私がいない間に入門していた大仁田、日本プロレスから合流組の桜田さん、羽田さん、伊藤さん。鶴田さんは2度目のアメリカ遠征の最中でいない。「すぐ着替えろ」と佐藤さんに言われ、持参の運動着に着替える。駒さんがそばに来て「渕、プロレス忘れてなかったか?」と静かにたずねる。「忘れていませんでした」「そうか…、先ずはスクワット500回やれ。声出して数えろ」「はい!」。スクワット500回なんて毎日やってた。そのくらい大したことはない。1年前よりは体力はついている。この1年の自主トレの成果を緒先輩達に見せてやる!…はずだった。だが車酔いしたままの状態の今、何のことはない、その1年分の体力を使い果たした感じだ。何の為の1年だったのか!リング上では先輩達が新弟子の大仁田に練習をつけている。それを見ながら私はスクワットを続けた。いつもの倍のキツさだ。2時間半のタクシー乗車で体力をごっそり持っていかれた。気持ちも気分も最悪!だけどこの日を1年待ったんだ。ここへ来てへたばるわけにはいか
ない。200回を超えたあたりでリング上から駒さんが声をかけた。リングにあがって来いと。まだ500回の半分もやってないのに。なんだろうって感じでリングにあがって駒さんの前に立った。駒さんが近づいて来た途端左右のビンタ。いきなりだった。私はみっともなく倒れたが、すぐに立って駒さんの前で気をつけの姿勢をした。駒さんの表情が厳しくなって「渕!お前は1年前、俺達の信用を裏切った!馬場さんに対しても、そして鶴田に対しても。1度なくした信用を得るにはそれ相応の覚悟がないとな。お前にはそれがあるのか?」と言う。「あります!」そう答えるしかない。気をつけの姿勢ながら私はふらついている。「よし!みんなリングを降りろ!」。リング上は駒さんと私だけになった。そしていきなりの投げられての受け身。「大仁田数えろ!」。大仁田が大きな声で数え出した。1年振りの受け身。と言っても1年前はたかだか1ヶ月足らず練習生。きれいな受け身がとれるはずもない。強引に投げられあちこちを打つ。50回投げられたところで駒さんが投げるのをや
める。私はまた戻しそうになった。「この野郎、吐くんじゃねえぞ!」。誰かが叫んだ。誰かはわからない。「はい…」戻そうにももう胃の中には何もない状態。フラフラだ。でもなんとか50回やりきった。体調最悪の状態でよくやれたもんだ。と、その時「どうだ渕!もうやめるか?キツいならもう帰っていいぞ」ときた。息を弾ませながら駒さんが私を睨みつける。そう来たか!こっちも意地になった。「後50回お願いします!」「よし!行くぞ!」もう受け身の練習ではない。ただ不細工に投げられている状態だ。「もうやめるか?」「後50回!」「もう参ったか?」「いえまた50回!」。その度に大仁田が数えている。たぶん私の顔色は蒼白だったであろう。フラフラの状態を通り越しており、不思議と頭の中は茅ヶ崎で見送ってくれた母親の顔、そして自分の死ぬことを考えていた。母親は息子を信じて期待をかけてくれている。だが、俺はお母さんのその期待に答えることができない。このまま死ぬかも…。お母さんごめん…。それにしても、なんてツイテないんだ!よりによって
春闘の日に入門テストなんて!これも我が運命か?プロレスラーになることを夢見て生きてきた。その夢が叶わないなら死も結構!さあ殺せ!だけど酷い死に方だぜ。これじゃまるでぼろ雑巾だ!もっといい死に方はないのか?…これは本当大袈裟じゃなくぼろ雑巾状態で初めて死を意識した。当時、駒さんは34歳。投げる駒さんもかなりキツかったはずだ。1年前、私はそんなに期待されていたんだろうか?それとも突然の辞め方のせい?200回ほど投げられた後、駒さんが電話をしにリングを降りた。私は開き直ってリングに大の字になった。そしたらなんと伊藤正男さんがリングにあがって大の字の私を無理矢理起こし、また投げるではないか!休ませないつもりだ!後年、伊藤正男さんとは仲良くなり、よく一緒に飲みいったり遊んだりしたもんだが、その時にこの時のことを話題にした。「あの時は伊藤さん、ひどいじゃないですか!」「お前は残る思ったから(笑)」「それにしても、ひどい!(笑)」。伊藤正雄さん、今どうしているんだろう?…そして電話を終えた駒さんが再びリン
グに上がる。「どうした!もうやめるか?」「後50回!」。また始まった。もう焼けのやんぱちだった。だが50回まで行かず駒さんは途中で投げるのをやめた。フラついてもう立ってるのがやっとの私に「渕、もういい。今な、馬場さんに電話をして今回渕は相当の覚悟で来てるから大丈夫ですって言ったんだよ。だからお前は再入門合格だ!明日正式に馬場さんに挨拶に行くからな」「はい。ありがとうございます!」。私は駒さんだけじゃなく、そこにいる全員に深々と頭を下げ、今度はリング下で大の字になった。もう伊藤さんは起こしに来なかった(笑)。44年前の4月9日のことである。

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Comment

  1. より:

    渕選手へ
    再入門テストのお話、拝見しました。体力的にも精神的にも厳しいテストで…文章だけで怖くなりました。あの硬い音がするリングで投げられ続けるなんて想像出来ません。夢を叶えられた事は嬉しいのですが、やはり厳しい世界である事が垣間見えた様に思います。再入門のお話を綴って頂き、どうもありがとうございます。これから段々と夏に向けて季節が動きます。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。

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