1973年春
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当時茅ヶ崎に住んでいた私は全日本道場がある恵比寿に向かう為に品川まで東海道線、そしてそこから山手線で恵比寿。むろん帰りも同じ道順。乗り換え時間を含めだいたい片道2時間。45年前の3月、私は2週間ほど全日本プロレスの練習生として毎朝通った。受け身を教えてもらい、あとはウエートトレーニングとヒンズースクワット。先輩達とのスパーリングは初日以後なかった。プロレス技を教えてもらうこともなく、ただひたすら基礎体力練習と受け身の繰り返しばかり。若かったから練習のキツさにもだんだん慣れて来て、たかだか2週間ほどだったが体力が付いてきたのがわかった。もう初日のくたくた状態にはならなかった。スパーリングをしなかったからかも(笑)。体力も体格も違うのでスパーリングやらされるとまたくたくた状態に入ったろうな。その時期、練習生は19歳の私一人。雑用係がいなくなり辞められたら困るといった状況でコーチ役の駒さん始め周囲が気を使ったのも事実だったろう(笑)。練習後は鶴田さんにラーメンを御馳走なるケースが多かった。初日のよ
うなラーメンだけってことはなく、プラス餃子定食かレバニラ定食付きになるまで体力が付いて来た。練習後の食事は格別だった。ある日、練習後に駒さんが鶴田さん、百田さん、佐藤さん共々やはり恵比寿駅近くにある焼肉店に連れて行ってくれた。次々に運ばれてくる牛肉。19歳にして焼肉初体験。旨かったなぁ〓こんな旨いものがあるのか!っていうぐらいの衝撃だったね。そりゃそれまで牛肉食べたことがなかったわけではないんだけど、質が違うんだもの(笑)。北九州で食べてたものと(笑)。肉っていうと鯨肉という少年時代を過ごして来たんだから。衝撃というのはオーバーな表現じゃない。カルビにロース…本当旨かった〓レスラーになればこんな旨いものいつでも食べれるんだ〓プロレスラー志して大正解だ〓なんてね(笑)。本当感激したよ。そして、ジャイアント馬場さんがハワイから帰国した。私は駒さんに連れられて六本木の事務所に向かった。勿論スーツ姿だ。あの馬場さんに挨拶〓緊張しまくっていた。事務所に入ると馬場さんはリラックスな雰囲気で立ったまま誰かと
電話中であった。電話が終わると馬場さんは私のそばにやって来た。(やはりデカイ!)「まだ練習生ですが、今度の巡業には連れて行こうと思ってるんですけどいいでしょうか?」と駒さんが言ってくれる。私は緊張しながらも名前と年齢を言って頭を下げた。馬場さんは日焼けした顔でニコリと微笑んだ。3月なのに半袖シャツ姿だ。初めて近くで見るあのジャイアント馬場〓迫力が凄い!「おお、そうか。どの世界でも入ってからが大変だ。わかってるな。頑張るんだぞ」。45年たっても最初に言われた馬場さんの言葉は覚えている。そう、たしかに入ってからが大変だった。
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Comment
渕選手へ
思い出深い春のお話、拝見しました。成長を実感出来る貴重な期間ですね。更に伸びる為の基礎固めかと。美味しいご馳走も素敵な思い出です。そして馬場さんのお言葉…勝手ながら誠に仰る通りと思います。会社に勤める身分として、わかったつもりになっていないかを改めて考えたいと思います。有り難いお話を綴って頂き、どうもありがとうございます。季節の変わり目で気候が安定していませんので、何卒お疲れになどなりません様にご自愛くださいませ。