本日3月25日は
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最終更新日:2015/03/26
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ジャンボ鶴田さんの誕生日。生きていれば64歳となる。まだまだ若いよね。2000年5月に亡くなった時、49歳になって2ヶ月足らず。本当にまだまだ元気でいてくれるものと信じていた。初めてお会いしたのは恵比寿の全日本道場山田ジム。昭和48年3月、鶴田さんはホウキを持ってリング上を掃除していた。鳴り物入りの入門ながら一番の新弟子であった。鶴田さんもうすぐ22歳、私は19歳だった。午前中で先輩方はまだ誰も来ていない。事務員に連れて行かれ、「入門希望者です」と紹介され履歴書を見る。「アマレスやってたんだ」と言われ、そこからいきなりのスパーリング。むろんのことまるで歯が立たず、ぼろ雑巾のごとく…。今思うと僅か20分ほどであったが、当時は長く感じた。終わった後、私は息も絶え絶えでリング上でダウン状態。鶴田さんはやや拍子抜けの感で未熟な私を見つめていた。その日から2週間後に鶴田さんはアメリカのファンクスがいるアマリロへと旅立ち、私は父の病気のため一時全日本プロレスを辞めることとなる。再会は1年後の4月。鶴
田さんはすでにスターレスラーであった。「オッ!渕、また来たんだ?」「はい!ヨロシクお願いします!」。…それから4半世紀を超える付き合いが始まった。厳しい試合、練習の中でも互いに青春を謳歌した。生意気にも何度か女性を取り合ったこともある(笑)。むろんこっちが勝てるはずもなく、いつも泣きをみていた(笑)。懐かしき思い出がたくさんある。それは追々…。私はとうの昔に鶴田さんが亡くなった年齢を過ぎ、還暦も過ぎ、今だ現役のレスラー。一番の先輩(長老か?(笑))となり、皆に世話になっている。いや厄介になっているか?(笑)思うに鶴田さんほど身体能力が優れたプロレスラーはそうはいない。日本のプロレスラーでは今だに誰も追い付いていないな。
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再び行ったり来たり(笑)
例年通り正月2日3日と試合だったので東京2泊となった。それで今電車で帰宅中。だが、明日また東京に向か
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渕選手へ
ブログ拝見しました。鶴田さんの試合後、一緒に「オー」が出来た事が嬉しかったです。週刊プロレスに鶴田さんの記事が載っているからと兄が買ってきた事で試合観戦するようになりました。プロレス好きになる機会を与えて下さったのは鶴田さんです。沢山の思い出話を伺いたく存じます。是非ともお話を綴って頂きます様、よろしくお願い致します。