43年かぁ
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これまで何度かこのブログに載っけたけど9月20日に私は憧れのアメリカ遠征に行くことができた。43年前、1980年9月20日。アメリカはロサンゼルス。ジョー樋口さんに連れられて。10年ひと昔と今でもたまに使う言葉だが、それ考えると4つ以上のひと昔前(笑)。ロサンゼルスでは日本プロレス時代ブッカーをやられていたミスターモトさんを樋口さんに紹介された。貴重な昔話を興味深く聞いたのを覚えている。私はまだ26歳であった。樋口さんもモトさんももういない。私も年寄りになる訳だ。翌日NWAの総会があるネバタ州リノ市に樋口さんと向かった。当時NWAはまだ全米プロレス界に於いて大組織だった。リノ市の一流ホテルでの総会。大プロモーターが集合していた。むろんトップレスラーも。馬場さん夫妻、マクマホンシニア夫妻、クロケット、バーネット、タニー、ラーベル、ボーシュ、ガイケル、グラハム、そしてファンクス、ローデス、フレアー、レイス、エリック、オコーナー…等々。私のアメリカでの最初の受け入れ先プエルトリコのカーロスコロンも勿論来ていた。総会後、コロンに連れられてプエルトリコサンファンに向かった。コロンはリノでのギャンブルで大負けしていた。サンファンに向かう機内で私は少ない持ち合わせから千ドル馬場さんに内緒で貸した。翌週すぐ返してくれてホッとした(笑)。その縁かどうかわからないが、コロンはよく試合を組んでくれた(笑)。プロレス入門当初からの夢、アメリカ遠征。入門して6年後に実現したのである。帰国したのは、それから3年後のこと。それももう40年前のこと。若かったなぁ❗️元気だったなぁ❗️今はいない人が多いが、あの頃は我が周りには皆元気であった。あの人も、そしてあの人も…。
Comment
お疲れ様です。いつも思うんですが、渕さんの記憶力は大したものですね。
あと復帰戦お疲れ様でした。これからは楽しみながら、1試合1試合こなして行って欲しいと思います。
渕選手へ
ブログ拝見しました。時間の流れに感嘆と驚きです。プロレス雑誌が貴重な情報でしたので、選手名に喜んでおります。やはり信頼が大切ですね。機会が有りましたら是非とも続きのお話を綴って頂きます様、お願い致します。暦通りの気候に変わって来ました。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。