合宿所生活
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コロナ第4波が?で心配のご時世。やはりまだまだコロナ禍生活は続く。そうなると、そんな心配が露ほどもなかった昔の頃に想いは馳せる。私が全日本プロレスに入門した頃、そうもう47年前(笑)。先ずは合宿所生活が始まる。当時全日本の合宿所は目白にあった。高層マンションの一室。和室六畳が三間、そしてダイニングキッチン。ジャンボ鶴田さんが1部屋、アメリカからの助っ人マティ鈴木さんが1部屋、私と大仁田が同じく六畳の1部屋。すぐに薗田が入門して来て六畳間が若手3人の寝ぐらとなる。道場は恵比寿駅近くの山田ジム。むろん車などないから山手線で目白駅から恵比寿駅迄。シリーズオフは毎日通った。若手だから当たり前だがな(笑)。ジムのシャッターを開けると換気がよくないから前日の練習での汗の匂いがいつも充満していた。特に夏場は酷かった!そんな所で毎日毎日よく練習したもんだ!今となっては懐かしい❗️(笑)目白の合宿所には2年半いて世田谷区砧の一戸建てに移った。2階の3部屋にそれぞれ私と大仁田と薗田が住むこととなった。1階はリビングルームと鶴田さんの部屋。広い庭には新たに木造の道場を建てた。1人1部屋。若手3人のプライベートルームとなった❗️(笑)練習は夜以外はいつでも出来る。天龍さんも輪島さんもこの道場で練習した。私はこの砧の合宿所にはアメリカ遠征に行く迄4年居た。私が遠征中、三沢や川田が入門してこの砧合宿所に住んだ。約6年の合宿所生活。20歳から26歳迄の我が青春期をこの目白と砧の合宿所で過ごしたんだなぁ…。車の免許を取ったのもこの時期。練習の合間によく遊び、女の子ともよくデートなんかもしたもんだ❗️ドライブしたり映画見に行ったり酒飲んだり(笑)。そして夢が叶って憧れのアメリカ遠征となる。スマホがない時代。コンビニもなかったなぁ。試合会場は満員で飛沫関係なしに大声援を送っていた。人気レスラーがリングインする時は通路にファンが押し掛け、それこそ濃厚接触だぜ!(笑)ソーシャルディスタンスとテレワークの意味がわからない時代(笑)。またやって来るだろうか?
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Comment
渕選手へ
「合宿所生活」拝見しました。仰る通り、試合会場で声援禁止なんて考えるのも時代の流れかと。満員の会場で試合観戦出来る様に、改めて感染症対策を徹底致します。桜を散らす程の雨ではありません。天候がお体に障りません様に。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。