1965年
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1990年代だったかキャピタル東急ホテルのレストラン「オリガミ」で食事後、珈琲飲みながら馬場さんが遠くを見る目で「俺にとって一つのターニングポイントの年だったなぁ…」と語ったことがある。1965年、昭和40年。この年、馬場さんはまだ27歳。第7回ワールドリーグ戦は優勝出来なかったが、その秋のインターナショナル選手権王座争奪戦では見事ディックザブルーザーを破りチャンピオンとなった。力道山の後継者と認められたわけだ。当時、その年のスポーツ雑誌の年末特集号に、(これから新たな時代を迎えるかも知れない。王、長嶋、金田を擁した巨人軍は来年度も連覇する可能性があり、パリーグも三冠王野村克也の活躍でセリーグ人気に迫るかも知れない。大相撲は佐田の山と栃の海の成長が著しいので、そろそろ大鵬の独走にストップをかけて角界を面白くしてもらいたい。ボクシング界は、「黄金のバンタム」ジョフレを下して2階級制覇のファイティング原田が牽引することに間違いなかろう。プロレス界は、ようやくジャイアント馬場がシングル王者とな
り、力道山後継者としての活躍が期待され来年は盛り上がるであろう。…)と紹介と展望記事。私はまだ小学6年生。今だ大まかだがその記事の内容を覚えている。1965年当時の人気スポーツは野球、大相撲、ボクシング、プロレスだったんだね。馬場さんの私生活に於いても元子さんとの交際が本格化した年でもあったと元子さんの本に書いてあったな(笑)。巨人軍は実際その年から9連覇した。プロレス界では馬場時代に突入。力道山時代に負けない人気を維持した。世相的にはエレキブーム。ビートルズ、ベンチャーズ人気が世を席巻した。映画は任侠もの、若大将、クレージー。歌はマヒナスターズのムード歌謡。そしておそ松くんとオバQの漫画。若き王者馬場さんは翌年から長い期間に渡って期待通り大活躍する。原点は1965年だったんだね。
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Comment
渕選手へ
「1965年」拝見しました。馬場さんのターニングポイントはスポーツ界のターニングポイントと同じだったのですね。大きな流れを感じてしまいます。悪い癖で申し訳ございませんが、興味深いお話は根掘り葉掘り聞きたくなってしまいます。もし機会がありましたら綴って頂きます様、よろしくお願い致します。今年は春が早く訪れるのでしょうか。季節の変わり目に体調を崩してしまいません様にご注意願います。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。