今だ健在〓
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馬場さんのライバルだった外国人レスラーで今だ健在のレスラーとなると…ドリーテリーのファンクス、ブッチャー、シン、ハンセン、マスカラス…か?だけどもう1人多分最年長で今だ健在のレスラーがいるんだよね。ダニーホッジ。国際プロレス、日本プロレス時代に来日して大活躍したトップ外国人レスラーだ。馬場さん、猪木さん、ヒロマツダさんの好敵手。ウイルバーシュナイダーとのタッグで馬場猪木組を破りインタータッグ王者になったことがある。長年NWA世界ジュニアヘビー級のチャンピオンであった。たしか1932年生まれだったから御年87歳。まだまだ健在であってほしい。現役として最後に来日したのは、1974年7月、我が全日本プロレスのサマーアクションシリーズ。マスカラスらと共に来日したんだよね。私はまだ入門して3ヶ月過ぎたばかりの若手だった。開幕戦の後楽園ホールではジャンボ鶴田さんとシングル勝負。30分時間切れ引き分け。リングサイドで見てて寝技主体ながら見応えのある攻防で30分が短く感じたことを今だ覚えている。「凄いよ、
ホッジは。手首掴まれて足取られたら動けなかったよ!タックルは早いしなぁ。最後のパンチは見えなかった。なんか緊張したよ」と試合後、当時まだ23歳だった鶴田さんが苦笑いまじりに話してくれた。そりゃそうだ!ダニーホッジはアマレスでオリンピック銀メダリスト、ボクシングでは全米ゴールデングローブ覇者!格闘家として最高のアスリートだったんだね。一緒に来日したボブループとボブバックランドがホッジの前ではそれこそ直立不動の感じだったよ。2人共アマレスの猛者なんだけどダニーホッジに対して尊敬の念を持ってたんだね。マシオ駒さんが冗談で「あなたの日本の息子だ」だと笑いながら、まだ細くて若い私をホッジに紹介してくれたので「ハイ、マイサン!」と私のことを気軽に呼んでいた。1度だけスパーリングらしきものをやったことがある。片手で首筋を掴まれてマットに這わされたまま身動き出来ないまま終わった(笑)。見学していた馬場さん、鶴田さん、マスカラスに大笑いされた。とにかく凄い握力の持ち主だった。これはスパーリングじゃないな(笑)
。軽い準備運動として壁に向かって身体45度の指立て運動を教えてもらった。この運動は今でも続けている。以前、アメリカ遠征時、ベテランレスラーのアルコステロから聞いた話、「レスリングテクニックの寝技No.1はダニーホッジ。あとはハットン、ガニア、ザボー、ミラー、ブリスコらは横一線。ホッジだけが抜きん出ている!」ってね。めちゃめちゃ強いのに気さくでいいオジサンであるホッジさん、いつまでも御元気で〓
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渕選手へ
Mr.ダニーホッジのお話、拝見しました。片手で押さえ込まれてしまうとは、やはり手練れですね。貴重なお話を綴って頂き、どうもありがとうございます。機会がありましたら続きのお話をお願い致します。夏の様な昼と秋の夜長で少々戸惑ってしまいます。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。
昭和のプロレスを見ていた者には非常に面白いお話でした。ただ、自分も世界オープンタッグ戦以降のプロレスファンですが、もう今のプロレスは見れないです。特にwwe・・・。「どれもこれも同じプロレスだよ。」とグレート・カブキさん当たりに笑われそうですがやっぱり見れないです。ダニー・ホッジみたいな人今もいますかね?グレート・小鹿さんのブログにも何度も書き込みました。「昔は面白かったなあ・・・古いのかなあ自分は・・・」と。ロビンソン、マードック、ブリスコ、フレアー。場外戦はダメ。リングの中で見せなきゃあ。タケノコのように出てきたインディーズ?なんですの?
ビル・イーデイさん。マスクド・スーパースターですが、彼が言ってました。「日本のプロレスがこんなになったのはメキシコのプロレスを導入したせいだ。」と・・・自分はこの意見当たっていると思います。いかがですか?試合中、客を笑わせる。客と話する。「闘い」を見せてない。・・・何事でもそうですが、変えていいところと変えてはいけないところがあると思う。DDTプロレスとドリフターズとどこがどう違う?巡業中、毎日デスマッチ。テネシーやプエルトリコでもストーリー上、デスマッチはあったと思いますが、毎日・・・考えられません。