日の丸背負って…
公開日:
:
ブログ
高度成長期って云ったら、1960年代だろうなぁ。各分野のヒーローが多く出現した。野球だとやはり王、長嶋。相撲では大鵬、柏戸。ボクシングはファイティング原田。プロレス界は力道山からジャイアント馬場へとヒーローは移行する。力道山はどちらかと云えば戦後復興のシンボルのイメージが強い。芸能界では坂本九、クレージーキャッツ、若大将、渡り鳥に座頭市と用心棒。本当いたねぇ、それぞれにヒーローが。60年代は私は小学、中学を経て高校生成り立ての頃。我が初恋時代か?(笑)言い方が変だが何度も初恋をした時期(笑)。そんな60年代、私にとって一番のヒーローはもちろんジャイアント馬場。スポーツ新聞、プロレス雑誌を見て一喜一憂していた。今度来日するガイジンレスラーはとてつもない大物!強敵だ!ジャイアント馬場は大丈夫か?てな感じで心配したり期待したり。65年頃から北九州ではプロレス中継は放送されていなかった。だから夕刊の九州スポーツ紙は毎日購読していた。一面いつも赤い大文字で馬場!馬場苦闘!馬場防衛!馬場連覇!てね。懐か
しい〓(笑)試合会場での観客の熱狂度は凄かった。私が初めてプロレス生観戦をしたのは1968年5月3日。小倉三萩野体育館。第10回ワールドリーグ戦であった。私は中学3年生。2階席で観戦した。周りの大人達の興奮度は凄まじいものだったな。むろん会場は超満員。これもまた懐かしい〓(笑)北九州でのプロレス中継復活は69年秋からだった。後年、この世界に入った時、コーチだったマシオ駒さんが話してくれた。「あの当時の馬場さんはガイジン相手に日の丸背負って試合やってたよ。力道山から引き継いでな」。アメリカの強豪ガイジンレスラーに負けるな!ジャイアント馬場頑張れ!まさにそうだんだよね。日本人頑張れ!だよな。駒さんは馬場さんの初代付き人でもあった人。1976年3月、35歳の若さで亡くなった。
関連記事
-
昔を懐かしんでばかりでは
前回の便利になったのブログで現在の情報過多に少々批判的なことを書いた。しかしなぁ、昨夜の情熱大陸にあ
Comment
渕選手へ
ブログ拝見しました。プロレス初観戦は余り覚えておらず…2階の立ち見で会場が暗く、あっと言う間に終わったイメージです。今でも試合結果はほとんど覚えていないので反省しております。試合の状況を文字で見るのはとてもありがたい事です。是非とも教えて頂きます様、お願い致します。気づいたら土用の入りが過ぎていました。徐々に暑くなって来ますので、どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。