ミスターアトミック秘話
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初来日の頃、テレビでは月光仮面が大ブームで当時の少年達のアイドルであった。視聴率はかなり高かったであろう。素顔で来日したクライドスチーブンスはそのドラマを見て感激し、アトミックではなく月光仮面にしてくれと日本プロレス協会に真剣に頼み込んだ(笑)。実話である。要望はむろん却下。仕方なしにミスターアトミックでリングに上がった。だが、リング上では悪役レスラーとして月光仮面以上の衝撃をプロレスファンに与えた。現在70代の人は殆んどテレビでプロレスを見た年代であろう。毎週金曜夜8時はプロレス時間帯であり、力道山の空手チョップとジャイアント馬場の十六文キックに声を上げて声援した年代だ。そういった70代以上の人達に印象に残る外国人レスラーは?と尋ねると、やはりルーテーズ、シャープ兄弟、オルテガ、ブラッシー、デストロイヤー、サンマルチノ、ブラジル、エリック、ブッチャー、ゴッチらと共にミスターアトミックの名を挙げる人も多い。馬場さんから聞いた話だとアトミックはかなりの試合巧者であったそうな。試合巧者…要する
にいぶし銀の味。派手な感じではないが要所要所に無駄な動きがない。とはいえ、日本マット界でのデビューではマスクマンとして凶器頭突きで相手を流血させるんだから結構派手目だけれどね(笑)。ただレスリングの基本はしっかりしていて晩年も試合内容は安定していたようだ。決め技はネックブリーカーだけ。切れ味はブラッシーより上だと評判だった。誰とやっても水準以上の試合内容を見せられる試合巧者として馬場さんが名前を挙げていたのは、オコーナー、デストロイヤー、コックス、そしてアトミックだった。どうしてそんなにミスターアトミックにひかれるのかって?それは1度赤鬼って名でマスクマンとしてリングに上がったから!すぐに自らマスクは取ったけどね(笑)。もうかれこれ10年近く前かな?そのマスクのデザインがまるっきりミスターアトミックだったんだよ。それまでに諸先輩方からアトミックの評判を聞いていたから、それなりに憧れはあったがね。クライドスチーブンスとして坂口征二さんがまだデビュー前のロサンゼルス特訓修業時代に短期間ながら臨時
コーチを勤めたとも聞いた。リングネームも結構持ってたね。アトミックは日本だけ。アメリカでは、ザ.プリチュア(牧師)、ゴールデンテラー等々。1度だけデストロイヤーと同時来日した。白覆面のデストロイヤーと赤覆面のアトミック。2人で何度かタッグを組んだ時は試合巧者同士のタッチワークで馬場猪木組を始め日本チームメンバーをかなり苦戦させた。話題のタッグでありながらデストロイヤー、アトミック組でのタイトル挑戦はたしかなかったはず。どうしてなんだろな。何か勿体ない。
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渕選手へ
オールラウンダーのマスクマンについて拝見しました。想像力をかき立てられる興味深いお話を綴って頂き、どうもありがとうございます。正体不明ではございませんが、次回のLucha Fiesta Tourまで想像が膨らんでしまいました。兄がミスターアトミックのお話を喜んでおりましたので、今日の家族団らんも楽しみです。想像力は仕事への活力に変えて午後の仕事も頑張ります。雪の便りが届き始めました。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛ください。
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