ディファ有明
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最終更新日:2018/06/06
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2000年7月の時、この会場のこけら落としに川田と試合をした。もう18年たつんだなぁ…。まだ46歳。それなりに元気だった。川田との試合はキツかった!あばらを痛めた。川田のパワーとスタミナに太刀打ち出来なかった。46歳ながら引退間近を自覚した。馬場さんが前年逝去し、その年の5月に鶴田さんが亡くなった。全日本は分裂して私と川田が残った。その2人が新生全日本のスタートラインとしてディファ有明という新しい会場でメーンを張った。残ったレスラー、スタッフの数を考えれば先行き不安だらけのスタートであった。ディファ有明はノアのホームリング。事務所もあった。だからこの18年間で私は5回ほどしか、このリングに上がっていない。今月中にディファ有明は終了する。その最後に本日リングに上がった。今だ全日本所属のレスラーとして。ディファ有明こけら落としの川田との試合は長い我がプロレスキャリアの中でも5指に入る思い出深いものである。
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Comment
渕選手へ
「ディファ有明」拝見しました。試合お疲れ様です。こけら落としから最終戦までお付き合い出来たなんて、建物とのご縁も深いですね。全日本プロレスが見届けてくださったのでディファ有明もプロレス会場として勤め上げてくれた事と存じます。梅雨間近になりました。何卒お疲れなど残されません様、ご自愛くださいませ。