1974年春再び
公開日:
:
最終更新日:2018/04/10
ブログ
その夜からは目白の合宿所泊まりとなり、ここでの新弟子生活となるんだが正式には明日から。母親に電話で入門テスト合格のことを伝える。良かったねとは言ってはいるが今だ心配のようだ。1年振りの目白の合宿所。佐藤昭夫さんと大仁田の3人。食事をご馳走してくれたんだが、とにかく疲れ過ぎて喉に通らない。一応腹は減ってはいるんだけどね。疲れていて眠りたいんだがやはり眠れない。まだ身体が興奮しているのか?同じ部屋の当時16歳の大仁田が付き合ってくれた。他愛のない話をお互い深夜過ぎまで話す。そのうち2人ともウトウト…。翌日昼、大仁田と2人で六本木の事務所へ向かう。駒さんと偶然事務所前で出会う。馬場社長は社長室で日本テレビプロレス中継担当プロデューサーの原章さんと話し合いの最中。もうすぐ第2回チャンピオンカーニバルが始まる。その頃全日本プロレス中継は毎週土曜日の午後8時のゴールデンタイムに放映されていた。駒さんと我々2人は事務所内で昨日の入門テストのことを笑いながら話していた。しばらくして馬場さんと原さんが社長
室から出てきた。我々3人は立ち上がって挨拶する。駒さんが昨日のことなどいろいろ話してくれる。馬場さんは頷いて「わかった」と言った後、私を見て「今シリーズから巡業について行け」と言った。駒さんがその後「大仁田と2人でちゃんと雑用をするんだぞ」と釘をさした。また巡業に行ける。「ありがとうございます。頑張ります!」と大きな声で挨拶した。これで全日本プロレスに正式入門。原さんがニコリとして私を見て「いい日に入門出来たな。馬場さんと同じ入門日だよ」と肩を叩いた。「はい!」。無論、ジャイアント馬場ファンの私は4月10日がその日だと知っていた(笑)。
Comment
渕選手へ
ブログ拝見しました。再入門を認めて頂き何よりです。ここまでも厳しかったですが本番はここからですね。貴重なお話を伺う事が出来ました。再入門のお話を綴って頂き、どうもありがとうございます。天候が不安定ですので、どうぞお疲れになどなりません様にご自愛くださいませ。