1974年春
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六本木インターナショナルビルに着く。エレベーターで全日本事務所がある8階に向かおうしたが、5階あたりで止まっててなかなか動かない。若い私は階段で8階まで上がることに決めた。少々息を弾ませながら8階に着くとなんと馬場さんがエレベーター前に立っている。背中越しに「馬場さん!」と思わず声をかける。「うん?」と一瞬怪訝そうに振り返り、私を見下ろす。「1年前にお世話になった渕正信です。また入門したいのでよろしくお願いします!親の承諾を得ました。もう辞めません!」。馬場さんは私の顔を見て思い出したのかニヤリとして「おお、そうか、明日道場に来い。駒には言っておくから」「はい!ありがとうございます!明日道場に行きます!」。私は馬場さんに直接思いの丈ぶつけてほっとした気分で茅ヶ崎のアパートに戻った。まだ再入門が許された訳ではなかったけど、ここまで来たらもうやり抜くしかない。帰りの電車内で考えていた。以前鶴田さんが目白の合宿所で夜半話したこと。「この道しかない!そう思ってやり抜くしかないんだよ!」。いくら若
いとは言え2度の失敗はしたくはない。この1年、遠回りしたかもしれないが、果たして本当にそうか?明日は1年越しの2度目の入門テストを受ける。茅ヶ崎のアパートには2、3日前から母親が北九州から来ていた。長男の行く末が心配だったんだろう(笑)。明日道場での入門テストを受けることを告げ、受かったらそのまま合宿所暮らしといった可能性になるかもとも言った。「さっきテレビで言ってたけど明日春闘みたいよ。電車止まるんやろ?兄ちゃん大丈夫ね?」「春闘?大丈夫やろ」。母親の手料理の夕食を食しながら私は春闘のことなんか気にもせずに明日の入門テストのことを考えていた。この1年の思いの丈を思いっきりぶつけて必ず再入門してやる!馬場さんとの再会を高揚した口調で母親に話したりもした。そして10万円手渡した。自分の手元にはたしか6万円ぐらいだったか?当時男一匹、これから働くとなれば、これだけで十分!翌朝7時に起きる。朝食は軽め。母親はもっと食えというが、何しろこれから道場で入門テスト。胃は軽めの方が良い。天候は曇り。朝8
時にアパートを出る。母親とはアパートで別れる。春闘決行のようだが、茅ヶ崎は大丈夫だろうと勝手に考えていた。なんたる楽天家!案の定、電車バス動かず。タクシー拾おうとも全く見当たらず。乗用車ばかり。駅前にもない。30分40分と時は過ぎる。ここへ来てようやく慌て出す。11時までには恵比寿の道場山田ジムに着かなければ!入門テストに遅れるなんて洒落にならない。1年越しだぜ!どうするんだ!国道に出て空車を探す。やはり見つからない。やっと1台の空車を見つけ乗り込む。「東京の恵比寿まで行ってくれ」。若い運転手は驚いて「恵比寿!お客さんそりゃ無理だ。悪いけど降りて他探してくれ」と断ってくる。「他なんかない!頼むから行ってくれ!往復出すから!」。私は必死だった。運転手は承諾してくれた。もう9時になる。なんとしても11時までに恵比寿の道場に着かなくては。ところが最初はスムーズだった道路が都心に近づくにつれ渋滞しだした。料金メーターが上がり時間は過ぎて行く。
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Comment
渕選手へ
再入門までの道程、拝見しました。平坦な道は少ないと思いますが、まさかストライキ当日とは。春闘が熱を帯びていた時代ならではですが…誠に勝手ながらまた緊張して来ました。続きのお話がとても気になります。何卒、続きのお話を綴って頂きます様よろしくお願い致します。桜を始め様々なお花で色鮮やかな季節に成りました。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。