2月28日
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最終更新日:2018/03/01
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今年も2ヶ月過ぎて行くんだね。大いに楽しんだ冬季オリンピックも閉会してしまったしね。なんにしても毎度ながら時が過ぎ行くのは早いもんだ。2月28日というと私が思い出すのはジャイアント馬場対ルーテーズ戦。いかにもプロレスラーらしいだろ?(笑)この一戦は1966年だから、もう52年も前のこと。私は小学校6年生だった。実はこの試合テレビで観てないんだよ。当時我が故郷の北九州ではプロレス中継はやってなくってねぇ。愛読新聞の九州スポーツで結果を知ったんだよ。当時まだ28歳になったばかりのジャイアント馬場が明らかに各上の大レスラールーテーズから2フォールを奪ってのインターナショナルタイトル防衛。新聞読んでて興奮したなぁ。子供であったが初めて将来はプロレスラーになりたいと憧れを感じた瞬間だった。いっぺんにジャイアント馬場のファンになった。その頃の私のヒーローはジャイアント馬場と東宝映画の若大将だった(笑)。だから大学中退して北九州から飛び出した後、最初に居座った所は茅ヶ崎。これも加山雄三の影響ありだな(笑)。
ただ、茅ヶ崎が東京からこんなに離れていたことは想定外だった(笑)。東京まで1時間半以上かかるんだもんな(笑)。ともかく、この1966年2月28日東京体育館での馬場‐テーズ戦が我が人生に影響を与えたことは間違いない。この試合ビデオになってないんだよね。試合写真は多くあるんだけどね。後に馬場さんから直に聞いたけど馬場さん自身にとっても思い出深い試合だったようだ。16文キックとか脳天チョップなんか全く出してないんだよね(出せなかった?)。ヘッドロックやベアハッグであのルーテーズに向かって行ったんだよ。試合内容はクリーンファイトに終始し、どちらかと言えば地味な攻防。だけど、亡くなった著名なプロレス評論家故菊池孝さんはこの試合をかなり評価してたな。ルーテーズの日本での試合ではベストバウトだとまで言ってくれた。これも実は生前、菊池さん行きつけの新宿の韓国料理屋で御馳走になりながら直に聞いた話(笑)。天下の大レスラールーテーズに勝ったことでジャイアント馬場の評価は大いに上がり、正式な力道山の後継者と万人に認 められた試合だったんだね。試合内容が素晴らしかったのも要因だったろう。日本プロレス史にとっても重要な意味を持つ試合であったと思う。
Comment
渕選手へ
「2月28日」拝見しました。なんて豪華なカードでしょうか。しかも直接お話を伺っておいでとは、うらやましい限りです。試合内容を想像するだけでも年度末を乗り越える活力になります。素敵なお話を綴って頂きまして、どうもありがとうございます。何度も読み返しさせて頂きます。
暖かさを感じる気候になりました。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。